当神社の創建は、享禄二年(一五二九年)橋本源左衛門、孫左衛門の兄弟が園部川の河口で遊漁中、流れの中で鯉に守護される御神体を発見されたことから始まります。
御神体は「吾は是牛頭天王にして陰神、陽神也。将に当所の鎮守とならん。」と神託を言い渡すと、兄弟はそれに従って町辻に御神体をお祀りし御奉仕することとなりました。
翌年、この話を聞き及んだ小川城主薗部宮内少輔が願主となって祭典を行うと、御神体は紛れもなく陰陽の二神であると悟り、陽神の素戔嗚尊を城外に、陰神の櫛稲田姫命を城内にそれぞれ丁重に社殿を造営し分祭鎮座致しました。
以降、毎年六月になると「四度のまつり」と称する四回の祭禮が城内より村中に至るまで盛大に執り行われたそうです。今もその式が残り、素鵞神社の「祇園祭」に受け継がれております。
当神社は、はじめ天王宮という名の御宮で天王さまと尊称していましたが、義公・徳川光圀率いる水戸藩の尊皇思想の影響を受け、神仏混淆の社号であること、語呂が斉しいことから皇国に恐れ多いことを理由に天保十一年(一八四〇年)、現在の社号「素鵞神社」に改められました。
また、鎮座地も低地であったことから千木髙知里氐鎮坐須の祝詞に反すること、墓所が近く御神体が穢れてしまうことを理由に明治二年(一八六九年)、高台の旧小川城外曲輪のあった現在地に遷座されました。
同三年(一八七〇年)には常陸國小川鎮守となり、同六年(一八七三年)村社に列格、同四十年(一九〇七年)には供進指定も受け、昭和六十二年(一九八七年)より、茨城県神社庁特別神社となりました。
その後も、往時より変わらぬ氏子崇敬者の厚い信仰に支えられ、今も往先も御神徳を広め続けております。
享禄2年 | 1529 | 橋本源左衛門、橋本孫左衛門の兄弟が園部川で御神像を奉迎し奉仕する。 |
享禄3年 | 1530 | 小川城主の庇護を受け、天王宮と命名されて、城の守護神として城外に祀る。 |
天正年間 | 戦乱の為、社殿焼失。 | |
安永5年 | 1776 | 本殿造営。 |
安永8年 | 1779 | 横町覚書が綴られ始める。 |
天保11年 | 1840 | 社号を素鵞神社に改称。 |
安政2年 | 1855 | 従四位上侍従 源 有文が社号額並びに掛軸を謹書。 |
文久2年 | 1862 | 御神輿新造。 |
明治2年 | 1869 | 現在地に社殿を遷座。 |
明治3年 | 1870 | 常陸國小川鎮守となる。 |
明治6年 | 1873 | 村社に列格。 |
明治18年 | 1885 | 社殿焼失。 |
明治32年 | 1899 | 本殿新築。 |
明治33年 | 1900 | 本殿遷宮式斎行。 |
明治40年 | 1907 | 供進指定を受ける。 |
大正5年 | 1916 | 狛犬と石灯篭が奉納される。 |
大正12年 | 1923 | コンクリート製の鳥居を建設。 |
大正13年 | 1924 | 素鵞神社祭礼規約を制定。 |
大正14年 | 1925 | 踊り屋台が寄贈される。御神輿新造。 |
大正15年 | 1926 | 御神輿遷宮式斎行。祇園祭々具 行器奉納。 |
昭和9年 | 1934 | 拝殿、中雀門、玉垣を造営。新築遷宮式斎行。 |
昭和20年代 | 現在の境内に稲田姫神社を遷座。 | |
昭和28年 | 1953 | 拝殿改修。 |
昭和59年 | 1984 | 御神輿改修。 |
昭和62年 | 1987 | 茨城県神社庁特別神社に列格。 |
平成4年 | 1992 | 御影石の鳥居が奉納される。 |
平成7年 | 1995 | 手水舎改築。 |
平成11年 | 1999 | 御鎮座470年祭斎行。 |
平成21年 | 2009 | 神輿舎、祭礼庫改築。御鎮座480年祭斎行。 |
平成22年 | 2010 | 稲田姫神社、石玉垣改築。御鎮座480年奉祝行事執行。 |
平成24年 | 2012 | 拝殿基礎、回廊等土台修復。幣殿増築。 |
平成25年 | 2013 | 祇園祭DVD完成。 |
平成27年 | 2015 | 祇園祭が小美玉市の無形民俗文化財に指定。御神木のケヤキとケンポナシが小美玉市の天然記念物に指定。 |
平成28年 | 2016 | 第62回神宮式年遷宮撤下御装束神宝 革御靭、御鏡を賜る。 |
平成29年 | 2017 | 拝殿屋根修復並びに改築。葺替竣工祭斎行。 |
平成31年 | 2019 | 御鎮座490年祭斎行。 |
令和元年 | 2019 | 御鎮座490年奉祝行事執行。 |